職業訓練局を修了してから、次々と人材サイトで企業に履歴書を送りましたが、返事がないか断られるかで、50歳を過ぎての就職活動は難しいと感じています。
人材サイトで面接のまねきがあるのは、警備員か配達ドライバーなどの職種ばかりです。自分は美術デザインの分野で20年以上もやってきたので、学んだことや得意なことを活かせる仕事がしたいと思っていますが、小さな美術スタッフの面接の機会さえ得られません。それがあっても無音カードの窮地に陥り、職場での年齢差別を痛感しています。公共部門の採用職も同じで、自分が最悪の例を作ってしまったのに、民間企業に要求する資格があるのでしょうか。政府が言うところのコロナ後の雇用拡大策、就職通のオンライン応募、求人側は完全に未読状態です。オンライン応募は飾り物ですか?これがいわゆるマッチングなのでしょうか?
仕方なく基準を最低にして、包装作業員やスーパーの店員などに応募しても、肉まんが犬に当たるような状況で、自分の問題なのかと疑ってしまいます。
多くのアドバイスでは、中高年の就職活動は人脈に頼るべきだと言われていますが、人情の借りという人情借りが返せないという要因や、前車の鑑の教訓から、友人に頼って仕事を探したくないと思っています。
この2ヶ月の就職活動の経験で、階級の差を感じました。面接の機会があった会社の社長は私と年齢がほとんど変わらないか、30代-40代の面接官もいました。人生が違って始まっていたら、私が人を選んでいたかもしれません。日本のドラマ「リセットライフ」を思い出しました。人生は不平等なものです。
以下は、面接の機会があった2社の会社です。
一つは葬儀業で、年中無休で月に6日か8日の休みを選べます。両者の給料は2000元(1日1000元、時給125元に換算)違います。給料は労働保険や健康保険を引かずに実際にもらえます。台風の日でも休みになってもしょくばに行かなければなりません。退職するには2ヶ月前に告げるなければなりません。
もう一つは試用期間3ヶ月で労働保険や健康保険がありません。台湾がわがまま経営者の天国と呼ばれるのも納得です。最低賃金よりも数百元から一、二千元しか高くない給料で、資本家に有利な規定ばかりで、労基法に違反するリスクも冒しています。配達員が流行るのも納得です。 政府の怠慢なのか、景気の影響なのか、台湾の職場の奇妙な現象を作り出したのでしょうか。失業罰金と揶揄される国民年金を見れば、上が正しくなければ下も曲がるのかもしれませんね。
3か月間自宅待機になった後、私は本来の専門分野ではない仕事を探すことにしました。
就業サービスセンターでで清掃予備幹部として働く機会を得ました。専門分野以外の職場で継続的に成長する余地があることを光栄に思います。この5ヶ月で各フロアの作業内容や機械設備の使い方も慣れてきました。勤務中は他のフロアをサポートすることができ、勤務終了後に補給のために地下 2 に戻った後も、30 リットルのバケツ 3 杯の水を汲むこともできます。良い時期は永遠に続かないのが残念ですが、この分野でずっと仕事を続けられると思っていました。頑張りすぎたのか(時には早く出勤し、一日に10時間働かなければならないこともある、仕事に多くの時間を取られていたため、この期間はドラマや映画を観る時間がなく、感想を発表することが久しぶりになってしまいました。)、体が疲れて病気になり、本当は8月末まで持ちたかったのですが、仕事に大きな影響が出たので、5か月過ぎに療養のため退社せざるを得ませんでした。数か月。
自宅療養中、筋肉やカルシウムの減少により、歩くときに膝で体重を支えられなくなり、しゃがんだり立ち上がったりといった単純な動作すら困難になっていることに気づきショックを受けました。心拍数が速すぎて、歩いてすぐに疲れて息切れを感じることがよくあります。数日間薬を飲んだ後、少しずつ元気は戻ってきましたが、まだかなり衰弱していました。仕事(特に肉体労働)に戻るには時間がかかるかもしれません。
求職がうまくいかず、家に3ヶ月間引きこもっていた後、何もせずにいるわけにはいかないと思い、50歳を過ぎてからの就職難の状況を考慮して、専門分野とは異なる仕事に転職することに決めました。
就業サービスセンターで清掃の予備管理職の機会を得て、専門外の分野で職場でのキャリアを続けられることを光栄に思っています。5ヶ月間にわたり、各階の仕事の内容や機器の使い方を習得しました。シフト中には他のフロアのサポートを行い、仕事が終わった後にはB2に戻って備品を補充し、さらに30リットルの水を3桶も詰めるとができました。しかし、良い時期は長く続かず、このままこの分野で働き続けられると思っていた矢先、体力が消耗し過ぎて病気になってしまいました。8月末まで何とか続けようとしましたが、仕事に支障をきたすほどの状態になり、5ヶ月後にやむを得ず退職し、療養することになりました。
自宅で療養している間に、筋肉やカルシウムの流失により、歩く際に膝が体重を支えられなくなり、しゃがむ、立ち上がるといった簡単な動作も難しくなっていることに気づきました。心拍数が速く、少し歩いただけで疲れて息切れしてしまいます。数日間薬を服用した結果、徐々に精神的には回復していますが、まだ非常に虚弱です。職場に戻るには(特に体力を必要とする仕事)、かなりの時間がかかると思います。
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